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仙台高等裁判所 平成7年(行コ)11号 判決

控訴人

山形労働基準監督署長

工藤幸宏

右指定代理人

黒津英明

外六名

被控訴人

佐藤照子

右訴訟代理人弁護士

佐藤欣哉

高橋敬一

五十嵐幸弘

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実および理由

第一  当事者の求める裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  控訴人の控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、乗合バス事業及び貸切バス事業等を業とする会社に雇われ、バス運転の業務に従事していた佐藤岩治(以下「岩治」という。)が、過重な業務が原因で心疾患を発症し、死亡したとして、その妻である被控訴人が、控訴人である労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、遺族補償給付の請求をしたところ、昭和五八年一一月七日付で控訴人から業務起因性を欠くことを理由に遺族補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、その処分の取消しを求めた事案である。

二  争いのない事実

1  被控訴人の夫岩治(昭和一四年一月一一日生まれ)は、昭和三六年七月二〇日、山形市清住町所在の山形交通株式会社(以下「山形交通」という。)に入社し、山形営業所の運転士であったが、昭和四三年四月一日、貸切バス運転の認定資格を取得し、そのころから定期路線バス運転と貸切バス運転とを兼ねた業務に従事し、昭和五三年四月一日に運転士副班長に、昭和五六年四月一日に運転士班長に、それぞれ任命された。

岩治は、身長約一五九センチメートル、体重約六五キログラムで、本態性高血圧(一次性あるいは原発性高血圧ともいい、高血圧の原因が不明の場合をいう。)の基礎疾病があり、また、心肥大でもあった。そのため、継続的な健康管理をすべく医師の指導を受け、昭和五五年五月三〇日から昭和五八年六月二七日までの間、山形市の城西胃腸科内科医院において、本態性高血圧と慢性肝炎の投薬治療を受けていた。岩治の後記死亡日に最も近い昭和五八年六月二七日の測定では、岩治の血圧は、収縮期血圧(最大血圧)が一四四ミリメートル水銀柱(以下、単位は省略する。)、拡張期血圧(最小血圧)が九〇であった。

2  岩治は、昭和五八年七月三日(以下「発症当日」という。)、乗客を乗せたバスを運転し、宮城県宮城郡宮城町大倉字上下所在の定義温泉定義館に到着し、乗客を降車させた後の同月三日午前一一時五〇分ころ、定義館前駐車場において、運転中のバス内で倒れ(以下「本件発症」という。)、翌四日午前零時〇三分ころ死亡した(当時四四歳)。

3  死亡診断書に記載された岩治の死因は心筋梗塞であるが、死亡後の鑑定等により、岩治は、バルサルバ洞動脈瘤破裂による急性心不全(以下「本件疾病」という。)が原因で死亡したものであると考えられる。

4  被控訴人は、昭和五八年八月四日、控訴人に対し、岩治の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労災保険法一二条の八第一項に基づく遺族補償給付の支給を請求した。

これに対し、控訴人は、同年一一月七日、本件処分をした。その理由は、「『心筋梗塞』による死亡は、その傷病名だけにこだわることなく被災者がもっていた循環器系の基礎疾病や体質的素因に基づき発症したものであり、また、それ等を著しく増悪せしめるほどの過労や特に強度の精神的肉体的負担を生ずる業務上の突発的または異常な災害等の事実が発症前にあったものと思われず、たまたま業務遂行中に発生したにすぎず、私的疾病に起因する業務外の死亡と思料する」というものであった。

5  被控訴人は、昭和五八年一二月一五日、山形労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、昭和五九年九月二八日右審査請求棄却決定がされ、更に、同年一一月二八日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、昭和六二年一一月一一日、右再審査請求棄却の裁決がされた。

第三  争点

本件の主要な争点は、岩治の本件疾病が同人の右業務に起因するものといえるか、という点にある。

一  被控訴人の主張

1  業務起因性について

(一) 労働者災害補償保険制度(以下「労災補償制度」という。)は、労働者が人たるに値する生活を営むため必要を充たすべき労働条件の最低基準を定立することを目的に、負傷・死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件に療養補償・遺族補償・傷害補償などを行う法的救済制度であり、優越的地位にある使用者とそれに従属する労働者という資本制生産の下で、社会法則的に発生する災害の犠牲者である労働者とその家族の生活を成り立たせることを目的とする制度である。対等な市民相互間における不法行為による損害賠償制度が損害の公平な分担を目的とするのと異なり、労災補償制度は、労働者が人たるに値する生活を営むため必要を充たすべき労働条件の最低基準を定立することを目的とするから、不法行為による損害賠償制度の要件である相当因果関係が必要であるとする合理的根拠はなく、「業務上」とは、相当因果関係よりも広く、業務と負傷・死亡又は疾病との間の合理的関連性があることを意味するというべきである。民法上の損害賠償制度において「因リテ」(民法四一六条、七〇九条)の文言が用いられているのに、労災補償制度においてこのような文言がないことも、後者において相当因果関係を必要としないことの現われである。

したがって、労災保険法一条の「業務上の事由」とは、業務と労働者の死亡との間に合理的関連があることをいい、労働者に基礎疾病がある場合においても、当該業務に従事したために基礎疾患を悪化させ死亡に至ったことが推定されれば足りると解すべきである。

合理的関連性の有無は、当該労働者の負傷・死亡又は疾病について労働者保護の見地から労働者災害補償の法的救済を与えることが合理的か否かの実質判断から合目的的に総合判断されなければならない。

(二) 仮に業務上の疾病の認定について相当因果関係説を前提にする場合でも、業務上外の認定は、労災補償制度の趣旨に沿って行われるべきであるから、災害が被災害者の既往の素因もしくは基礎疾病又は既存の疾病が条件又は原因となって発生したと認められても、業務的要因がこれらと共働原因となり、当該傷病等が発生し、又は既存疾病が急激に増悪し、かつ、その間に相当程度の因果関係が認められる限り、当該疾病は業務上のものと認定されるべきである。

すなわち、基礎疾病のある労働者が死亡した場合において、その死亡と業務との間に相当因果関係を要するとしても、業務遂行を唯一の原因として死亡したとする必要はなく、業務の遂行が基礎疾病を誘発又は増悪させて死亡時期を早めるなど、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、右死亡は、業務上の死亡であると解すべきである。

労働者が長期間にわたり過重な労働に従事している場合には、保険給付のために画一的基準を設けること自体根拠がなく、過重負荷の有無は、個別的に判断されるべきである。また、発病原因の究明が困難な疾病について厳格な相当因果関係を要求し、「業務遂行中の突発的なあるいはその発生状態を時間的場所的に明確にしうる出来事等の災害」事実と疾病との間に、その医学的に明確な証明を要求するのは、多くの職業病を労働者災害補償の外に追いやることを意味し、労災補償制度の目的に反する。

(三) 控訴人が業務上外認定の根拠とする昭和六二年一〇月二六日付通達(後に平成七年二月一日付通達に引き継がれた。)は、行政機関が簡易迅速な行政運営上の便宜のために定めた内部基準であり、同基準の要件を満たせば原則として業務上の疾病となるが、その基準を満たさないものが業務外疾病になるというものではない。同基準には法的拘束力はなく、裁判所を拘束するものでもない。

2  岩治の死因について

岩治の死因は、バルサルバ洞動脈瘤破裂による心不全であり、右動脈瘤の発生自体は先天性のものと考えられるが、ストレスにより血圧が上昇することによって、バルサルバ洞動脈瘤は進展して破裂しやすくなり、破裂の時期が早まって破裂する。岩治においては、後に述べるような過重労働による肉体的・精神的ストレスが血圧に影響し、バルサルバ洞動脈瘤が破裂したのであって、業務上の死亡であるというべきである。

バルサルバ洞動脈瘤が破裂するのは、血圧による洞の一部が次第にふくらみ、血圧に耐えられなくなるためである。正常の血圧でもふくらむとしても、瘤にかかる血圧が高ければ高い程、バルサルバ洞動脈瘤を早く進行させて破裂させることは否定できない。バルサルバ洞動脈瘤の破裂が安静時に生じた例があることが、労作時に発生しやすいことを否定するものでもない。

3  岩治の健康状態について

岩治は、高血圧と慢性肝炎の投薬治療を受けていたが、昭和五八年に入ってからは血圧の状態もよくコントロールされ、一般状態も良好であり、昭和五八年六月二七日の診察の際にも特に問題はなかった。

世界保健機構による高血圧の診断基準によると、最大血圧一六〇以上、最小血圧九五以上の両方の条件がある場合を高血圧、最大血圧一四〇未満、最小血圧九〇未満の両方の条件がある場合を正常血圧といい、両者の間を境界域高血圧という。岩治の血圧は、本件発症の一週間前(昭和五八年六月二七日)の定期検診では、最大血圧が一四四、最小血圧が九〇であり、境界域高血圧であった。昭和五八年五月七日の定期検診では、最大血圧一三八、最小血圧八四であり、正常血圧であった。これは、岩治の高血圧の管理が適切になされており、発症が回避され安定した状態にあったことを示している。

4  山形交通の労働強化の状況

山形交通は、昭和五八年(一九八三年)三月期決算において赤字が見込まれたため、同年度を初年度とする経営改善三年計画を策定し、同年四月に労働協約を改訂したが、これは労働強化を目的とするものであった。

この改訂を昭和四四年(一九六九年)四月及び昭和五六年(一九八一年)四月の改訂と比較すると別紙一記載のとおりである。四四年協約と五六年協約とを比較すると附帯労働時間が三分間増加しているが、五八年協約では附帯労働時間が一〇分間削減され、所定乗務時間が一〇分間延長されている。しかし、山形交通の経営改善計画における車両の使用年数の延長等によって、運転手は、老朽化した車両の運転を強いられ、附帯労働時間内に行われる仕業点検などはより慎重に行わざるを得なくなっている。また、五八年協約から乗合バスがすべてワンマンバスになり、運転手には、大型車を交通頻繁な道路で安全に運行するために通常の運転手以上の注意義務が要求されるのみならず、バス停案内テープの操作、アナウンス、乗降客の有無や安全の確認、運賃支払いの確認、両替機の操作等を各停留所毎に繰り返すという業務が加えられた。営業所毎の平均乗務時間も五六年協約が五時間一五分以内であるのに対し、五八年協約では五時間四〇分となり、この結果、山形営業所においては、平均乗務時間も平均拘束時間も延長されている。貸切バス部門では、五八年協約において、それまでなかった「実走行粁五〇〇キロメートル」が新たに設けられた。

右のような労働強化によるコスト削減のほか、山形交通は、売上高の増加のため、運転手を含めた社員に、回数券、健康寝具、旅行企画の販売をさせていた。

5  岩治の勤務実態について

(一) バス運転士の勤務について

岩治をはじめとするバス運転士は、安全を図りながら、運行時間を守って運転しなければならず、精神的緊張による慢性的なストレス状態にある。

運転労働には騒音や振動が伴い、運転中の身体的、精神的緊張を高め、疲労を増幅させるところ、山形交通では赤字解消の方策として車両等の耐用年数を延長してコスト削減を企図していたが、これは老朽化した車両での運転を意味し、そのような車両では、騒音や振動も通常以上に発生し、運転手の負担を増加させる。

貸切バス運行の際は、事前に運転手が運行経路を確認するが、翌日の運行が前日の二〇時か二一時にならないと分からない場合があり、コースの確認が不十分のままで出発することもある。そのような場合は、通常以上に緊張を強いられることになる。

(二) 岩治の一般的な勤務状態について

岩治は、山形交通において、運転士及び運転士班長として、①点呼、点視、洗車、清掃、給油、発車準備、回送、精算その他、②バスダイヤ・貸切バス運行スケジュールに合わせたバス乗務運転、客の乗降誘導・運賃収受指示、貸切バス運行経路の確認作業その他、③班長会議への出席、班員への会社の方針の伝達指導、班員の日常的指導、班員の状況掌握及び会社への報告、④バス回数券等の販売活動等の業務に従事していた。

岩治の勤務は、路線バス勤務と貸切バス勤務とが組合わされており、不規則な労働時間となっている。このため、睡眠や食事の時刻、ひいては生活時間全体が不規則なものとなり、家庭生活でのストレスを増加させるだけでなく、休養も十分とることができなかった。

岩治には、長時間の拘束時間の勤務が多く、平均拘束時間だけでは把握できない疲労の蓄積があった。昭和五七年七月から五八年六月までにおいて、約四五パーセントの労働日が一〇時間以上の拘束時間となっている。特に、本件発症前の昭和五八年五月の勤務は、一二時間以上の拘束時間の勤務が五六パーセントに達していた。そして、同年五月三一日から六月一〇日まで連続一一日間の勤務であり、多少の休養では疲労の回復が困難であった。右一年間の総拘束時間は三〇一一時間に達している。

(三) 岩治の班長業務について

班長は、運転士としての業務のほか、七名の班員に対し、会社の方針に従った指導をし、また、会社に対し、班員の状況を報告するという任務があり、月一回の班長会議に出席し、班員にその報告をするなどしていた。班長は、会社の方針を具体的に各運転士に伝達して実行を図り、個々の運転士からの不満に対応したり、これを上部に伝達したりする、精神的に非常に疲れる仕事であった。

この班長業務も前記4の山形交通の労働強化や本来業務外の物品販売の強化によってストレスの多いものとなった。すなわち、班別の個人別出勤率、乗合収入、無事故走行粁が一覧表として印刷配布されるほか、物品販売等についても班同士の競争、比較が行われ、班長の精神的負担を重いものにしたのである。

(四) 岩治の月平均労働時間等

昭和五八年における山形交通のバス運転手の月労働日数の平均値は24.06日、月労働時間数の平均値は一六二時間二七分、月残業時間数の平均値は14.2時間、月休日労働時間数の平均値は5.7時間であるが、岩治については、それぞれ25.16日、一七〇時間三五分、28.3時間、13.5時間である(岩治については、同年上半期の平均値である。)。これによると、岩治は、山形交通における平均的バス運転手より、月一日以上過重に労働し、一労働日で三〇分以上過重に残業をしていることが明らかである。また、岩治は、平均的バス運転手と異なり、班長としての職務も行っており、労働密度がさらに高かったものである。

(五) 岩治の発症前一か月の勤務実態

岩治は、昭和五八年五月三一日から六月一〇日まで一一日間の連続勤務であった。この五月三一日から発症当日(七月三日)までは三四日間あり、休日数は六日間である。就労日の拘束時間は、五月三一日から七月二日までの一日当たりの平均で一〇時間四〇分である。勤務協定によれば、乗合バス乗務員の所定拘束時間(一七条)が八時間四〇分、貸切バス乗務員のそれ(二五条)が九時間一〇分であり、岩治の場合、いずれもこれを上回っている。これをまとめると別紙二記載のとおりである。

なお、岩治の勤務実態を明らかにするためには、労働時間ではなく、拘束時間を検討すべきである。なぜなら、山形交通がいう労働時間は、計算上のハンドル時間に附帯労働時間(一律一時間四三分)を加えて計算したものであり、賃金計算をするための基礎時間というべきであるが、岩治の場合、拘束時間内は会社の指揮下にあり、班長という地位に伴う各種の仕事や、客との対応・進路の確認作業等も行っており、岩治の精神的・肉体的ストレスの有無の判断材料としては、拘束時間が重要な意味をもつというべきだからである。岩治は、この拘束時間以外にも班長職や、本来の業務外の物品販売等を行っていたことも多いのである。そして、このような過酷な勤務実態は、以前から恒常的に続いており、勤務時間が不規則で身体的リズムを作れなかったことにも留意すべきである。

(六) 岩治の発症前一週間の勤務実態

岩治の発症当日までの一週間の就労状態は、別紙三記載のとおりであり、前記(四)の上半期の労働時間等の平均値と同水準である。昭和五八年六月二七日から発症当日までは、その勤務の影響で、家庭が休息・慰安の場所になっておらず、単に睡眠をとる場所でしかなく、しかもその睡眠時間は、平均的に短いものであった。

(七) 岩治の発症当日の勤務状態

発症当日である昭和五八年七月三日は日曜日で公休日であったが、岩治は、前日に休日勤務の業務命令を受けて業務に従事したものであり、七日間連続の勤務となった。

岩治は、同月三日午前四時ころ自宅を出て、午前四時一〇分ころ山形交通山形営業所に到着した。これは同年五月三一日以降に限っても、最も早い出勤となっている。同年七月三日の業務は、空の回送バスで宮城県桃生郡桃生町の「おとこざわ呉服店」まで行き、そこで客を乗せるというものであったが、この出勤命令の内容は、仙台営業所管轄の顧客に関するものであり、岩治にとっては不案内の場所でもあったため、岩治は、前夜も地図を見て場所の確認をした。

岩治は、バスガイドの長岡智子(以下「智子」という。)と午前五時一〇分ころ同営業所を出発した。乗務したバスは、定期バスとして使用されていたもので、カラオケ設備も、パワーステアリング機能もないものであった。岩治は、笹谷街道を通り、東北自動車道を北進し、宮城県黒川郡の大和インターで高速道路を降り、松島町を経て国道四五号線に入った。

発症当日の気温は、前日までと比較して最高気温で七度から八度低く、最低気温で一度から二度低いものであり、七月としては非常に肌寒かった。

岩治は、国道四五号線を走行中、桃生郡矢本町矢本穴尻において、二人が死亡、一人が重症を負うという交通事故の現場に遭遇し、約四〇分程足止めされた。岩治は、バスを降りて事故現場を目撃し、死亡した若い女性二人を見て相当のショックを受けた。岩治は、目的地へ定刻までに到着しなければならず、この事故の目撃及びこれによる通行止めの時間的経過は、当該ルートが岩治にとって初めてのルートであることも考え合わせれば、岩治に多大なストレスを与えたというべきである。この事故は、これまでの過度の勤務実態による肉体的・精神的負担、疲労の蓄積と合わせ、発症の十分な契機になり得たものであった。

岩治は、「おとこざわ呉服店」に午前八時四〇分ころ到着し、乗客を乗せ、午前九時ころ出発し、午前一一時四〇分ころ、定義温泉に到着した後発症した。岩治は、前記事故の後、休息の時間もなく四時間連続した運転に従事し、肉体的ストレスも極まっていたものである。

6  岩治の死亡と業務起因性について

岩治は、その勤務により量的・質的に過度の身体的・肉体的努力を強いられていたにもかかわらず、自己の純粋余暇時間が睡眠時間に食い込む状況にあり、疲労を回復する時間がなく、本件発症までに強度の疲労が蓄積した慢性疲労の状況にあった。また、発症当日まで七日間連続勤務であった。更に、発症当日の業務についても、本来公休日であったのに、突然の業務命令による出勤であったこと、早朝からの業務であり、午前四時ころには自宅を出たこと、目的地が未知の場所であり、前夜運行経路の確認作業をし、発症当日も運行スケジュールに間に合わせるため精神的緊張を余儀なくされたこと、乗務したバスが貸切専用バスでなく定期バス(路線バス)の代用であり、貸切専用バスに比べて粗末であって、運転もしづらかったこと、途中悲惨な交通死亡事故を目撃してショックを受け、また、その事故による交通渋滞にあったこと、発症当日は天候不順で、前日までの暑さに変わり、非常に肌寒い天候であったことなどから、発症当時、岩治は強度の肉体的・精神的緊張を負担した状態にあったというべきである。

かくして、岩治には本態性高血圧の基礎疾病があったものの、その発症は回避され、安定した状態にあったが、過重な業務により高血圧症の基礎疾病が増悪しているところに、発症当日の緊張と負担、異常な出来事との遭遇による肉体的・精神的ストレスが加わり、基礎疾病が急激に増悪して急性の心臓死に至ったものである。岩治の死因は、バルサルバ洞動脈瘤破裂であり、これはストレスによってもたらされたものであるところ、岩治の業務内容及び発症当日の状況からして、右死因に対して岩治の業務が相対的に有力な原因となっており、岩治の業務と発症との間には相当因果関係があるというべきである。

二  控訴人の主張

1  業務起因性について

労災保険法による保険給付の要件である業務上の疾病があるといえるためには、業務との間に相当因果関係がある場合でなければならない。また、労働者が罹患した疾病の業務起因性は明確かつ妥当なものでなければならず、一般的に業務上の諸種の状態が原因となって発病したことが医学的に明らかに認められることが必要である。

当該疾病の発症に業務以外の有害因子(遺伝的因子、環境的因子等)の存在がある場合の業務起因性の判断においては、当該業務上の有害因子が当該疾病発症に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められることを要する。業務が相対的に有力な原因であったといえるためには、当該業務が客観的に見ても危険性、有害性を持っているものでなければならない。特に、加齢や一般生活等における諸種の要因による自然的経過によって増悪し発症する動脈瘤等の脳血管疾患及び虚血性心疾患(以下、これらをあわせて「脳心疾患」ということがある。)の場合、業務自体が血管病変の形成に直接寄与するわけではなく、また、脳心疾患の基礎的病態を悪化させる右諸種の要因も直接業務と関連がないものであるから、当該業務が当該疾病について業務起因性があるというためには、当該業務が脳心疾患の基礎的病態をその自然的経過を超えて著しく増悪させたものと認められることが必要である。

業務及びその遂行は、それ自体常に精神的・肉体的緊張や負担を伴うものであり、業務の遂行が基礎疾病や既存疾患を増悪させて発症させたものとして業務起因性すなわち相当因果関係が肯定されるためには、特に過重な精神的・肉体的緊張又は負担をきたす業務やその遂行が必要であり、それらについては、当該労働者の通常の業務をはじめ、同僚労働者等との業務量や業務内容等との比較等により客観的に判断されるべきである。

2  業務起因性の認定基準について

業務上疾病の範囲は、労働基準法施行規則三五条別表第一の二に定められており、さらに、平成七年二月一日付基発第三八号労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」が示されている(昭和六二年一〇月二六日付通達のうち「業務に起因することの明かなもの」に係る部分を引き継いだもの。以下、労働基準法施行規則三五条別表第一の二と平成七年通達を合わせて「認定基準」という。)。本件では、岩治の疾病が、労働基準法施行規則三五条別表第一の二第九号「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが問題となるが、業務上の疾病として認められるためには、急激な血圧変動や血管収縮が業務によって引き起こされ、血管病変等が自然的経過を超えて急激に著しく増悪し発症するに至ったものと客観的に認められることが必要である。

認定基準においては、「発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと」又は「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと」、これらの「過重負担を受けてから症状の発現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること」が認定の基準として示されている。したがって、発症前に過重負荷を受け、更に過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当とされるものについて業務起因性が認められる。

ここで、「異常な出来事」とは、極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、急激で著しい作業環境の変化の存在をいう。「日常業務に比較して、特に過重な業務」とは、通常の所定の業務内容等に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいう。その判断は、第一に発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否か判断し、第二に発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間に過重な業務が継続している場合には、この間の業務が特に過重であるか否か判断し、発症前一週間より前の業務については、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たって、その付加要因として考慮するにとどめる。更に、過重性の評価にあたっては、業務量のみならず、業務内容、作業環境等を総合して判断する。「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然的経過(加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいう。

3  岩治の死因及びその業務起因性について

岩治の死因は、バルサルバ洞動脈瘤破裂による急性心不全である(死亡診断書における死因が「心筋梗塞」とされているのは、遺族の関係者からその旨要請されたからである。なお、岩治の解剖は遺族の了承が得られなかったため行われていない。)。

バルサルバ洞動脈瘤の破裂をもたらす直接的原因は血圧である。血圧が瘤に絶えずかかっていることから、瘤が徐々に増大し、瘤壁が薄くなり、ついには破裂する。安静時においても、通常受けている血圧によって進行し、破裂は、安静時あるいは運動時にかかわらず突然に起こるとされており、労作時のほうが安静時よりも破裂が起こりやすいということはない。

また、外的ストレスが加わった場合、一般的に血圧は上がるが、血圧が高いほど破裂しやすいという医学的経験・知見は、現在のところない。

したがって、バルサルバ洞動脈瘤は、全く業務との関連がなく発生するもので、バス運転士という業務、あるいはそれによる精神的緊張から症状が進行するものではない。本件は、岩治がもともと有していたバルサルバ洞動脈瘤という基礎的病態が自然経過的に増悪し、それがたまたま勤務中に発症したものであり、業務に起因するものではないというべきである。

4  岩治の勤務実態と発症について

(一) 岩治の死亡を業務上の疾病によるものとするためには、発症が、業務のために著しく急速に発症増悪させられたことが必要である。すなわち、従来の業務に比較して、量的・質的に著しく異なる過激な業務の存在、発症直前の業務に関連する突発的かつ異常な災害等のできごとの発生により、強度の身体的努力や精神的緊張が生じたことが必要である。しかし、岩治の仕事は、普通のバス運転士としての仕事であり、全国の路線バス運転士が共通に行っている通常業務であって、山形交通特有のものではない。また、岩治の業務量や業務内容は、労働協約で定める日数以内の通常業務であり、他の同僚運転士と大差があるものでも過重なものでもない。岩治は、経験豊富なベテラン運転士で、バス運転業務を平穏に遂行してきたものであり、過重労働による肉体的・精神的ストレスが蓄積するような状況にはなく、その通常の業務内容自体が質的又は量的に過激なものであったということはない。

昭和五六年四月の労働協約と昭和五八年四月の労働協約とを比較すると、拘束時間(労働時間と休憩時間の合計)及び労働時間(実乗務時間と附帯労働時間の合計)は同じであるが、実乗務時間は一〇分延長され、附帯労働時間は一〇分短縮されている。また、昭和三五年と昭和五八年とを比較すると、拘束時間が二時間五〇分短縮、労働時間が五七分短縮、実乗務時間が一時間一〇分短縮されている。さらに、ワンマンバス導入による乗務時間の短縮、休日増加も行っている。被控訴人は、勤務交番表から昭和五七年一二月一日と昭和五八年四月一日の平均乗務時間と平均拘束時間とを比較し、労働協約改訂前後で労働強化が行われた旨主張しているが、勤務交番表は、順調にバスが運行されるであろうとする運行時間に交通事情や距離等による遅れを加味して作成されるものである。現実の勤務状況は、運行カード、運行記録計の記録用紙(タコチャート)及び勤務日報により明らかになるものであるから、被控訴人の主張には理由がない。

被控訴人は、労働時間(実乗務時間・附帯労働時間)に触れないで、休憩時間を含んだ拘束時間のみを分析しているが、妥当ではない。岩治の発症前一年間の労働時間は、二〇九四時間三八分であり、同僚運転士と大差ない。

(二) 岩治の班長業務について

岩治は、運転士班長としての職務も行っていたが、昭和五八年一月から六月までに開催された班長会議は三回(二月二九日、四月二一日、六月六日)であり、岩治はうち二回出席した(二月二九日欠席)。班長としての任務と責任は、班長の職にある者が当然に負っているものであって、岩治に限ったものではない。

班長は、業務に精通し、一定の条件を充たした者であれば誰でもなれるものであり、営業所長以下の者の指揮・監督を受け、山形交通の方針や指示等を班員に周知させ、班員の意見や希望を上申するという班のまとめ役・世話人的立場の者である。班長業務は、精神的に負担のかかる管理的業務ではなく、主要業務はあくまでもバスの運転である。

勤務時間外の健康寝具販売や旅行の募集活動も特に岩治だけが行ったものではなく、山形交通の全社員が行ったものである。昭和五九年五月一〇日に山形労働基準局において山形労働者災害補償保険審査官が行った聴取のなかでも、被控訴人は、この点について何ら述べておらず、このことからも寝具販売や旅行の募集活動が大変であったという認識が岩治にも被控訴人にもなかったことがうかがわれる。

(三) 岩治の昭和五八年一月から六月までの一か月平均勤務状況は、他の同僚と差異がなく、公休日出勤についても労働協約の規定の範囲内である。

(四) 岩治の発症前一か月(昭和五八年六月一日から発症当日まで)の暦日数は三三日間で、うち勤務日数が二七日間、公休・年休、力休(隔週休暇)が六日間である。勤務日数のうち、貸切運転業務は九日、予備日が三日あり、その他の勤務日は定期乗合運転業務に従事している。定期運転業務の実乗務時間(山形交通における昭和五八年四月一日施行労働協約中の勤務協定一二条、二〇条)は四時間三〇分から六時間、貸切運転業務の拘束時間(右勤務協定一六条、二四条。なお、実乗務時間の記録はない。)は一六時間から九時間一五分である。六月二五日、二六日は連続休日であり、六月二七日は運転業務についていない。これらの過去一か月余の労働実態からみれば、その労働時間(右勤務協定一五条、二二条)・休日等において、特に業務が過重であるとは認められず、過度の精神的・肉体的負担があったとはいえない。

(五) 発症前七日前についても、昭和五八年六月二五日及び二六日は、二日連続して休んでおり、労働協約で定めた連続出勤一三日以内である。六月二七日は予備日で、バス運転業務には従事していない。

(六) 岩治の発症当日の勤務状態

発症当日、岩治は、午前五時一〇分ころ、携帯品・健康状態・車両の状態について異常のない旨点呼を受け、智子と共に事業場を元気に出発した。乗務したバスは、山形二二あ二八九、昭和四九年式、同年三月購入のものであった。

岩治は、笹谷街道を経由して東北自動車道に入り、午前六時四〇分から一〇分間、泉駐車場に駐車して休憩し、コーヒーを飲んだ。発症当日の天候は、別紙四記載のとおりであり、雨降りで、智子は寒く感じていたが、岩治は、夏の制服で、夏用のランニングシャツと半袖の上着を着用し、運転席右側の窓を三〇センチメートル位開けて運転していた。岩治は、運転中、智子に自分の子供の話をしたり、智子の子供の話を聞いたりしていた。

岩治は、泉駐車場を午前六時五〇分ころ出発したが、矢本空港付近で交通事故の現場に遭遇し、午前七時三〇分から八時ころまで停車した。この間、岩治は、事故現場を見に行き、すぐバスに戻ってきた。その後、智子も現場を見に行った。事故は、大型トラックと普通乗用車の正面衝突で、乗用車の屋根の部分が取り外されており、その上に毛布が掛けられ、真っ白なシートカバーに少し血がついているのが見えたが、智子は、あまり動揺することもなく、「ああ事故だなあ」という感じを持った程度であった。

岩治は、午前八時ころ交通事故現場を出発した。「おとこざわ呉服店」前には午前八時四〇分に到着し、乗客四〇名を乗せて予定通り午前九時に出発した。途中、宮城パーキングエリアでトイレ休憩し、午前一一時に同所を出発した。乗客は全員女性で、バスの中では民謡・歌謡曲などを歌い、岩治も曲にあわせて歌を口ずさんでいた。定義館には午前一一時四〇分ころ到着した。

以上のような発症当日の勤務状態・気象状態からみても、特に岩治に肉体的・精神的負担があったとは認められない。すなわち、岩治は、出発前の点呼時も運転途中も特に変わった様子はなく、途中交通事故現場に遭遇した後も特に様子が変わることはなかった。「おとこざわ呉服店」を出発した後も岩治の状態に異常はなく、客の歌う歌にあわせて小声で口ずさむなどしており、運行時間も予定どおりであった。また、岩治は、昭和四三年四月一日に貸切バス運転の認定資格を取得して以来バス運転をしており、優良表彰も受けているベテラン運転士であるから、本件と同様の早朝の出発は、特異な出来事とは考えにくく、当該事故もショックを受けるほどのものではなかった。被控訴人は、岩治がこの事故で被害者の死体を見たと主張するが、推論にすぎず、事故の目撃から発症に至るまで約四時間経過しており、心理的ショックを受けたとしても十分解消されていたと考えられるから、本件発症との関係はない。事故による交通渋滞も、運転業務に従事するものにとって特異な出来事とはいえず、必要以上に精神的負担を強いるものであるとはいえない。さらに、発症当日の運転は、予定全走行距離三四〇キロメートルであり、このうち、客が乗車していない回送距離が一四六キロメートルであったから、運転士にとって特別負担の大きい業務であったとはいえない。岩治の運転していたバスにはパワーステアリングが付いていなかったが、岩治がベテラン運転士であることや、他のバス運転士もこのような運転を同様に行っていたことからすれば、このことが精神的・肉体的負担を伴う要因とはならない。

第四  証拠

証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第五  争点に対する判断

一  労災保険法による保険給付の制度は、使用者の労働者に対する労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであるから、被災労働者の疾病が労災保険法による保険給付の対象となるといえるためには、右疾病が労働基準法による災害補償の対象となるものであることを要し、同法による災害補償の対象となる疾病は同法七五条一項所定の業務上の疾病に該当すること、具体的には同条二項に基づく労働基準法施行規則三五条所定の別表第一の二の各号のいずれかに該当することを要するものというべきであるところ、本件において、被控訴人主張に係る本件疾病は右別表第一の二第一号ないし第八号のいずれにも該当しないことが明らかであるから、本件疾病が、労災保険法による保険給付の対象となるといえるためには、右別表第一の二第九号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要するものというべきであり、業務と疾病の間に相当因果関係があることが必要である(最高裁判所昭和五〇年行ツ第一一一号・昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決、裁判集民事一一九号一八九頁)と解すべきである。そして、労働者災害補償制度が業務に内在ないし随伴する危険が現実化した場合に、それによって労働者に発生した損失を補償するものであることに鑑みれば、労働者が基礎疾病を有しており、これが一因となって災害(本件の場合は本件疾病)が発生した場合に、業務と災害との間の相当因果関係を肯定するには、業務に内在ないし随伴する危険が現実化して、基礎疾病を自然的経過を超えて著しく増悪させ、よって災害が発生したことを要するものというべきである(最高裁判所平成六年行ツ第二四号・平成八年一月二三日第三小法廷判決、判例時報一五五七号五八頁、同平成四年行ツ第七〇号・平成八年三月五日第三小法廷判決、判例時報一五六四号一三七頁参照)。以下、この見地から、岩治の本件疾病が業務に起因することの明かな疾病に当たるか否かを検討する。

二  岩治の業務、発症前の勤務状況等について

1  証拠(各項目ごとに括弧内に摘示する。)及び弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができる。

(一) 岩治の経歴と職務の概要

被控訴人の夫岩治(昭和一四年一月一一日生まれ)は、昭和三六年七月二〇日、山形市清住町所在の山形交通に入社し、山形営業所の運転士であったが、昭和四三年四月一日、貸切バス運転の認定資格を取得し、そのころから定期路線バス運転と貸切バス運転とを兼ねた業務に従事し、昭和五三年四月一日に運転士副班長に、昭和五六年四月一日に運転士班長に、それぞれ任命された(争いがない。)。

(二) 山形交通における労働状況及び班長業務等について

(1) 山形交通における労働協約の改正

山形交通においては、いわゆるワンマンバスが導入されたことに伴い、昭和五八年四月一日から新しい労働協約が施行され、この結果、別紙一記載のとおり、男子乗務員(バス運転士)の労働時間七時間三分のうち、乗務時間が一日について五時間一〇分から五時間二〇分(貸切バス乗務員の場合は172.2粁から177.8粁)に、附帯労働時間が一時間五三分から一時間四三分にそれぞれ変更された。附帯労働の勤務内容は、点呼、点検、洗車、清掃、給油、発車準備等であり、附帯労働時間は、定期バス乗務員の場合、所定勤務交番の初発前三〇分、終着後二〇分、中間五三分の合計一時間四三分とされている(甲第三号証、第四号証)。

(2) 山形交通における班制度、班長会議及び班会議について

山形交通においては、昭和四三年に会社と従業員の意思疎通の円滑化を進めて職場の活性化や従業員相互間の融和をはかることを目的として、自動車乗務員班制度が制定されたが、その後昭和五八年三月の幹部会における総務部の重点方針のひとつとして、乗務員班制度の効果的な運営をはかることが挙げられ、組織を活性化し、従業員の経営参加意識を高め、下意上達の徹底により、班制度を生き生きとした組織によみがえらせることを目的として、その改正が行われた(甲第一一号証、第二二号証、乙第九号証)。

営業所の組織は、営業所長の下に次長、営業係長(副係長)、運行主任、班長(副班長)、運転士となっており、班長は、「自動車乗務員班制度規程」によると、一定の勤務年数や選考直前二年間無事故で年齢が五五歳以下であることと経験・資質等を基準として選考されるものであり、班は二一班あり、一班当たりの人数は班長を含めて七ないし八名の構成である(甲第八号証、第一一号証、第三七号証、乙第九号証)。

班長の職務は、営業係長・運行主任の指揮監督を受け、その他関係係長・主任・係員の指示と協力の下に、月一回以上班会議を開き、会社の方針・指示・班長会議等の結果を班員に周知報告するとともに、班員の意見・希望・提案等を上申すること、班員に対して様々な指導助言をすること、会社班長会議に出席すること等である(乙第九号証)。山形交通は、班長に対し、班員への指導助言の資料として、班員の出勤率、個人別乗合収入、無事故走行距離等の実績に関する資料を参考として渡していたが、班長には手当てはつかない(甲第一〇号証の一ないし三、証人荒木二雄、証人高橋廣雄)。

班会議は、会社からの指示を班員に伝える場であり、毎月一回開かなければならないことになっており、午後二時半ないし三時ころから一時間半くらい行われることが多く、これは勤務時間には入っていない。班会議の結果は毎月一回所定の班長会議報告書で報告することになっていた(甲第一六号証、証人荒木二雄)。

班長会議は月に一度開かれ、会社の指示が班長に伝えられることになっていたが、毎月定例的に開催されていたものではなく、昭和五八年一月から六月までに三回開催されたのみであり、かつ岩治は四月二一日、六月六日の二回出席したのみである(甲第八号証、第九号証、第一六号証、乙第八号証)。

(3) 山形交通の経営改善と班単位での取り組み

① 山形交通は、昭和五六年度(昭和五七年三月決算)において、創業以来初の大幅赤字を計上し、会社をあげて経営改善に取り組む姿勢をみせていた(甲第三八ないし第四九号証)。

② 昭和五七年七月、山形交通の関連会社として株式会社山交健康サービスが設立され、同年八月及び九月に健康寝具「キャップロール」の販売活動キャンペーンが行われ、山形交通の従業員も販売(購入客の紹介)活動に従事した。このときの販売実績は、個人ベストテン、団体成績などとして、山形交通社報「やまこう」昭和五七年一二月号にも掲載されており、班毎の販売順位の棒グラフが運転手控室に貼り出されたりした。しかし、このときの、売り上げは当初の目標には達せず、同年一一月と一二月にインナーキャンペーンが行われたが、芳しい成果は上がらなかった。班長は、班員に売上げ増加のための努力を促すとともに、班員に指導するため、自ら進んで買い手を探す努力をしたり、自分で買ったりする場合もあった。このような販売活動は、勤務時間外に行われた(甲第一一号証、第二四号証、第四〇ないし第四三号証、証人高橋廣雄)。

なお、勤務時間外の健康寝具販売等については、被控訴人は、昭和五九年五月一〇日の山形労働者災害補償保険審査官に対する申述において、健康寝具販売等について全く供述していない(乙第一七号証)。

③ 定期バス収入の落ち込みの補充や貸切バスのオフ対策等を目的として山交ファミリー旅行の募集が行われてきたが、山形交通が赤字を計上してからは、難局に直面したバス事業の増収増益策のひとつとして従業員全員による集客が期待されるところとなった(甲第四三ないし第四六号証)。

昭和五八年一月には、同年二月二一日から同年三月二〇日までの間に実施される山交ファミリー旅行の募集活動があり、班長会議において、班毎の販売成績が示された。この募集も、勤務時間外に知人等に電話するなどして行われた。この販売実績も一覧表として、社報「やまこう」昭和五八年五月号に掲載されている。また、昭和五八年六月六日の班長会議においては、ファミリー旅行の表彰につき、山形営業所が最下位であり、全員参加で最下位を脱出するよう協力するようにという要請があった(甲第九号証、第一六号証、第二四号証、第四四号証、第四七号証、証人荒木二雄)。

④ 定期バスの赤字体質脱却及び不振挽回のため、バス回数券の拡販運動も行われ、昭和五七年は、六月と七月に、昭和五八年は、七月と八月にそれぞれ実施された。昭和五八年六月六日の班長会議においては、回数券の車内販売について上位三班を、窓口販売について目標達成率五位までを、それぞれ表彰するという提案がされており、班単位での活動が期待されていた。このような販売活動は勤務時間外に行われた(甲第九号証、第一二号証、第四一号証、第四八号証、第四九号証、証人荒木二雄、証人高橋廣雄)。

(三) 勤務時間と運行距離

(1) 発症前一か月(それ以前のものも含む)の勤務状況

勤務日報及び勤務交番表に基づき、昭和五八年五月三一日から発症当日までの岩治の実質的な始業時刻と終業時刻(その間の時間は労働協約上の拘束時間ともほぼ一致するものと考えられるが、労働協約上の拘束時間は乗合バスと貸切バスとで異なり、また、後記のとおり、拘束時間については厳密に認定するものではない。)とを算出すると、別紙二記載のとおりとなる。そして、被控訴人が始業時刻とする時刻を岩治の出社時刻とし、また、同じく終業時刻とする時刻を岩治の退社時刻とすると、岩治の始業時刻と終業時刻を少なくとも別紙五記載のとおりの範囲(昭和五八年六月一三日の出社時刻は一三時三三分であり、同年七月三日の出社時刻は後記のとおり午前四時三〇分ころである。)で認めることができる(甲第七号証の一ないし二九、第二七号証、第二八号証、第三六号証の二八、乙第三六号証、証人高橋廣雄、被控訴人本人)。なお、被控訴人本人によれば、岩治は、発車の一時間前には出社していたとのことであり、また、帰着後のバスの点検・清掃につき、運転士佐々木弘は、だいたい一時間位かかるが、長引くときもあるとし(乙第二四号証)、証人高橋廣雄も、貸切の場合は車内が相当汚れているので、点検・清掃に一時間以上は十分かかるといっていることからすれば、岩治の出社及び退社時刻にはなお変動の余地がありうるが、少なくとも別紙五記載の時刻における出社及び退社が認められるというべきである。

また、勤務交番表及び運行記録計の記録用紙(タコチャート)との比較において、勤務日報(甲第七号証の一ないし二九は、昭和五八年六月一日から同年七月二日までの勤務日報であり、甲第二八号証は、発症当日の勤務日報である。)の正確性について考えるに、勤務日報と乙第三六号証の勤務交番表と対照すると、第一に、勤務日報には、定期バス運行の場合における営業所から出発地及び終着地から営業所までの回送部分については記載がないこと、第二に、勤務日報には、勤務交番表記載の時刻より早い着時刻の記載があるものがあるところ、証人高橋廣雄によれば、回送運転のため停留所への停止や客の乗車がない場合は、勤務交番表記載の時刻より早く目的地に到着することもあるが、そのような場合を除いては予定着時刻よりも早く到着するということはバス運転手としてありえない(さもないと予定着時刻に停留所に来る客を置いて行ってしまうことになる)ので、このような勤務交番表記載の時刻より早い到着時刻の勤務日報への記載はおかしいということになること、第三に、勤務日報には、最終の着時刻からみてまだ終業点検中と思われる時刻に最終点呼が行われているような記載がみられることの問題点があり、また、乙第四七号証の一ないし四のタコチャートの記載から読み取れる着時刻と、対応する日の勤務日報に記載された着時刻は一致するようにみえ、この部分については勤務日報の記載が正確であるようにもみえるが、当該タコチャートから読み取れるバスの始動時刻と、勤務日報記載の発時刻とが一致しない部分もあり、勤務日報の記載時刻の正確性については多少の問題がないわけではない。しかし、これらの点は、拘束時刻を厳密に認定するのであればともかく、岩治の出社時刻及び退社時刻のおおよその傾向を把握するうえでは特に問題視する必要はないと考えられ、別紙五記載のとおり岩治の出社時刻と退社時刻を認定する妨げにはならないというべきである。

(2) 同僚運転士との労働時間の比較

岩治と経験年数及び年齢がほぼ同じ運転士の笠原莞爾及び佐々木弘について、①昭和五七年七月から昭和五八年六月まで一年間の労働時間等を比較すると別紙六のA表記載のとおりであり、②昭和五八年一月から同年六月までの一か月平均労働時間等を比較すると別紙六のB表記載のとおりであり、更に、③昭和五八年六月の勤務状況を比較すると別紙六のC表記載のとおりである(乙三四号証、第三八号証)。これらによると、右一年間の労働日数及び拘束時間は、岩治が同僚運転士に比較してやや多いが、労働時間(乗務時間と附帯労働時間の合計)では、右一年間及び六か月間ともほぼ同じ程度であり、六月に限っていえば、岩治の労働時間はやや少ないことが容易に見て取れる。

(3) 岩治の昭和五八年六月一日以降の走行距離

岩治のバス運転による昭和五八年六月一日以降の走行距離は別紙五記載のとおりである(乙第七号証)。これによると、六月初旬については、貸切乗務のときには、走行距離が一日二〇〇ないし三〇〇キロメートルを超える場合もあり、一日一〇〇キロメートルを超える日が連続している(一日から一〇日までの間は、一〇〇キロメートルを超えていない日は二日のみ)が、同月中旬以降については、同月二四日まで一〇〇キロメートルを超える日はなく、二五日、二六日は休みのため、また、二七日は予備日のため、いずれも走行しておらず、二八日以降については、七月二日までの五日間で一〇〇キロメートルを超える日が四日あり、五日間の走行距離の平均は、約一一三キロメートルである。

なお、岩治の走行距離の実態を前記笠原莞爾及び佐々木弘と比較すると、昭和五八年六月中の一運転日当たりの平均走行距離及び一〇〇キロメートルを超える運転を行った日数は、別紙六のD表記載のとおりである(乙第七号証、第三六号証、第三八号証)。これによると、六月中の岩治の走行距離が同僚運転士に比較してかなり少ないことが明らかである。

(4) 残業時間について

昭和五八年四月及び五月の「山形交通清住営業所従業員一五九名の残業時間表」(甲第一三号証)によると、両月の残業時間がいずれも二〇時間を超えている者は、岩治を含めて七人おり、両月の残業時間の合計は、最も多い林部善孝が64.5時間、次に岩治が59.5時間であり、以下石岡庄作が五五時間、平尾忠が52.5時間となっている。

また、昭和五八年六月稼働山形営業所残業一覧(乙第四六号証)によると、六月中の残業時間が二〇時間を超えている者は四四名いるが、岩治の残業時間は一一時間であり、六月については、岩治の残業時間は、他の運転士と比較して多いとはいえない。

(四) 発症前日及びその前一週間の勤務状況

本件発症の前日及びその前一週間(昭和五八年六月二五日から七月二日まで)の岩治の勤務状況は、別紙五記載のとおりである(甲第七号証の二三ないし二九、第二七号証、乙第七号証、第三六号証)。

すなわち、岩治は、六月二五日及び二六日は二日連続して休んでおり、二七日は午後からの勤務で、しかも運転業務に従事することのない予備日で待機している(労働時間七時間三分)。六月二八日から発症前日まで五日間は連続して勤務しているが、そのうち三〇日は午後からの勤務であり、それ以外の四日間は、いずれも午前五時から午前七時までの間に出社している(被控訴人本人)。そして、発症前日七月二日の岩治の業務は、始業時刻午前六時一〇分、点呼時刻午前六時四〇分、終業時刻一三時三〇分、走行距離168.4キロメートル、乗務時間四時間三〇分の山形市と仙台市間を往復する定期バスによる運転業務であった。

なお、六月二八日から七月二日までの五日のうち、二九日が貸切バス運転業務であったほかは定期バス運転業務に従事し、この間の労働時間は、五時間四三分から七時間四三分で、一日平均六時間五一分である。

(五) 発症前日の状況

七月三日は日曜日であり、岩治にとっても休日の予定であったが、岩治は、その前日(七月二日)に翌日の勤務を命じられた。七月二日の岩治の退社時刻は、終業点呼が行われた午後一時三〇分以降であるが、帰宅は午後五時半ころであった。岩治は、業務終了後、翌日の貸切バス乗務の打ち合わせをしたと推測されるが、かつて業務として山形市から仙台市間の路線バスを運転していた経験があり、行程の全部について全く土地勘がないわけではなかったのであるから、その打合せ及び確認に相当な時間を要したものとは考えられず、帰宅するまでの間の岩治の行動は必ずしも明らかではない。帰宅後、岩治は、被控訴人に対し、急に仙台へぽんこつの定期バスで行けと言われたと興奮ぎみに語り、夕食後、客先へ電話をし、夜遅くまで地図等によって初めて通過する予定の道路を確認する作業をした。この間、岩治は、被控訴人に対し、もともと岩治に指定されている貸切バスがあるのに、定期バスのぽんこつで行かなければならないことについて愚痴っぽく話をした。岩治は、被控訴人に対し、翌日午前四時前には出るから遅くても三時半ころには起こしてくれと言い、午後一一時半ころ就寝した(甲第七号証の二九、第一九号証、第二七号証、乙第一七号証、証人長岡智子、被控訴人本人)。

(六) 発症当日の勤務状況

七月三日、岩治は、午前三時半から四時ころに起床した。この日、岩治は、午前五時に点呼を受け、午前五時〇五分に出発しており、労働協約(勤務協定)上、始発前三〇分前には出社しなければならないこと、点呼の時点で智子に対し、食堂で食事を済ませたと言っていること、岩治の家から会社まで車で一〇分程度であり、当日は午前四時前後に家を出たことをあわせ考えれば、岩治は、遅くとも午前四時三〇分ころには出社していたということができる。この時点では岩治に変わった様子はなかった。そして岩治は、バスガイドの智子と午前五時〇五分ころ山形営業所を出発した(甲第四号証、第二八号証、乙第四号証、第一六号証、第三三号証、証人荒木二雄、同長岡智子、被控訴人本人)。

岩治が当日運転した車両は、パワーステアリング機能装置の付いていない定期バスを代用したバスであった。通常、貸切バスに定期バス用の車両が充てられることはないが、貸切バス専用車両のすべてが稼働しているような場合には、定期バス用の車両を流用することがあった(証人荒木二雄、同高橋廣雄、同長岡智子)。

証人高橋廣雄は、このバスは、ハンドルが切りにくい、チェンジレバーも入りにくい、馬力も弱い、運転しにくい、という車であったと述べ、同長岡智子もこのバスで高速道路を走るのは大変だなと思っていたと述べている。しかし、岩治は、同様の性能のバスの運転を、昭和三六年入社から長期間にわたり行っていた経験があり、また、当該車両は、年式は昭和四九年式であるが、昭和五三年二月にオーバーホールされ、全長10.65メートル、ホイールベース5.2メートル、馬力一九五P・Sであって、当時の通常の貸切用バスと比較すると、若干小型で、小回りのよい車両であり、前年(昭和五七年)まで貸切バスとして使用され、その後定期バスに転用されたものであって、一か月毎の法定整備と運行前の仕業点検により、運行に支障がないように整備が行われ、バス自体の性能に問題があったとはいえないものである(乙第三一号証)。

岩治は、笹谷街道(国道二八六号線)を経由して東北自動車道に入った。走行中、岩治は、智子と子供の話をしたり、鼻歌を歌ったりしており、変わった様子はなかった。岩治と智子は、途中、泉パーキングエリアでトイレ休憩し、暖かいコーヒーを飲んだ。当日午前中の気象状況(宮城郡宮城町新川において測定)は、別紙四記載のとおりであり、気温は、摂氏12.7度ないし14.3度であった。智子は、とても寒く感じていたが、岩治は、半袖の夏服を着用し、走行中運転席脇の窓を開けており、寒さを感じていない様子であったが、泉パーキングエリアでの休憩後、バス内の暖房をかけた(乙第四号証、第五号証、第一二号証、証人長岡智子)。

岩治運転のバスは、宮城県桃生郡矢本町矢本字穴尻三七一番地の三先の国道四五号線の矢本空港付近で発生した交通事故(以下「本件交通事故」という。)のため、午前七時三〇分ころから通行止めに遇い、同日午前八時ころ同所を通過した(甲第一号証の一ないし三、乙第二〇号証、証人長岡智子)。

交通事故現場から先の進路は、北上川に沿う場所付近からは、細い道やカーブが多いが、岩治は桃生町新田の「おとこざわ呉服店」に配車時刻(午前八時五〇分)の前の午前八時四〇分ころ到着した(甲第二七号証、甲第三一号証、証人高橋廣雄)。

岩治は、同日午前九時ころ、約四〇名の客を乗車させて同店を出発したが、途中、客の歌う歌に合わせて小さな声で口ずさむなどし、特に変わった様子はなく、予定どおり運行していた。定義温泉までの経路は、再度東北自動車道を経由して関山街道(国道四八号線)に入り、さらに関山街道から定義山に向かう道路に入るが、岩治は高速道路の途中のパーキングエリアでトイレ休憩した(乙第五号証、証人長岡智子)。

七月三日の岩治の貸切バス運行計画は、全走行キロメートルが三四〇キロメートルで、これは、労働協約三〇条の走行基準(一人一日三五〇キロメートル)の範囲内である(甲第四号証、乙第三三号証、第三七号証)。

(七) 本件発症

岩治は、七月三日午前一一時四〇分ころ、宮城県宮城郡宮城町大倉字上下所在の定義温泉内の「定義館」に到着したが、当日午前五時〇五分に出発してから六時間三五分、走行距離二五八キロメートル(ただし「おとこざわ呉服店」までの回送車運転が一四六キロメートル)であった(甲第二八号証)。

岩治は、同所において客を降車させ、同日午前一一時五〇分ころ、定義館前駐車場において、智子の誘導でバスの後進作業に入った。バスの後進途中、MGM(タイヤのエアー圧力が一定限度になると自動的に後車輪を制動する装置)が作動したため、智子が運転席の前側部に行って岩治に声をかけたところ、岩治は目を開けたまま、肩で息をつき、意識がないような状態であった。智子の知らせにより、直ちに「定義館」から救急隊に出動要請がされたが、救急車が到着したのが一二時一七分であり、岩治は、救急車により搬送され、一二時四六分に西仙台病院に収容され、さらに仙台市立病院に転送され、一四時〇三分同病院に収容された。岩治は、救急車の中でも「お客さんはどうか。智ちゃん、わるいっっけな」などと話し、また、救急隊員の観察では、うわごとのように「疲れた」と言った。仙台市立病院における岩治の初診時の状態は、胸部苦痛、全身倦怠感著明、チアノーゼ、冷汗がみられるというものであり、ショック状態であり、翌四日午前零時〇三分バルサルバ洞動脈瘤破裂による急性心不全(本件疾病)により死亡した(なお、死亡診断書には、死因は心筋梗塞と記載されているが、これは、岩治の親族の要請でこのように記載されたものにすぎない。)(乙第四号証、第一三号証、第一六号証、第二七号証、第三〇号証の一の一、証人長岡智子)。

(八) 本件発症に至るまでの岩治の身体の状況

岩治は、身長約一五九センチメートル、体重約六五キログラムで、本態性高血圧(一次性あるいは原発性高血圧ともいい、高血圧の原因が不明の場合をいう。)であり、また、左心室肥大でもあった。そのため、継続的な健康管理の指導を受け、昭和五五年五月三〇日から昭和五八年六月二七日までの間、山形市の城西胃腸科内科医院において、本態性高血圧と慢性肝炎の診断により投薬治療を受けていたが、休養が要求される程度のものではない。岩治の後記死亡日に最も近い昭和五八年六月二七日の測定では、岩治の血圧は、収縮期血圧(最大血圧)が一四四ミリメートル水銀柱(以下、単位は省略する。)、拡張期血圧(最小血圧)が九〇であり、いわゆる境界域高血圧であった(乙第一〇号証、第一一号証の一、二、なお、岩治が高血圧のため勤務を軽減する扱いをされていたとの事実は、これを認めるに足りる証拠はない。)。

2  交通事故の目撃について

(一) 本件交通事故は、発症当日、岩治運転のバスが通過する直前、右国道で午前七時〇二分ころに起きたものであり、後退しながら国道を横断しようとした普通乗用自動車に、国道を進行中の普通乗用自動車が衝突し、同車がさらに対向車と衝突し、乗車していた二人の若い女性が即死し、二人が怪我をしたというものであった。警察官が事故現場に到着した時、既に救急隊員が救出作業をしており、国道を進行していた普通乗用自動車の運転手は病院に収容されていたが、同車の同乗者二名は即死の状態で、助手席と助手席後部に横たわっており、警察官は、国道を横断しようとしていた普通乗用自動車の運転手から事情聴取をしたうえ、午前七時二五分ころ同人を逮捕した。救急出動記録によると、事故の覚知が午前七時〇三分、出動が七時〇四分、事故現場到着が七時〇九分、現場処置所要時間が二八分、救急処置の完了が午前七時三七分であった。即死した二名については、救急車による搬送はされていない(甲第一号証の一ないし三、乙第六号証)。

岩治は、午前七時三〇分から四〇分にかけて事故現場の状況をバスを降りて見に行ったが、岩治が戻ってから四、五分たって、智子が事故現場を見に行こうとすると、岩治は、智子に対し、「見に行くなあ」あるいは「行くなは」と言った。しかし、智子は、事故現場を見に行き、毛布か何かがかけられた事故車や、血のついたシートカバーなどを見たものの、特にショックは受けなかった(乙第五号証、第二〇号証、証人長岡智子)。

(二) 被控訴人は、岩治が死体を見たとし、これが岩治に大きなショックを与えたと主張する。

なるほど、救急出勤記録と智子の証言に現われた時間を前提とすると、岩治が事故現場を見に行った時点で、事故の死亡者が車の中にまだ残っていた可能性を否定することはできないが、すでに救急隊員が事故現場に到着して救急活動を行い、また、警察官が現場において事情聴取を始めているのに、事故現場で死体が人目に触れるような形で放置されることは通常は考えられないところであるから、岩治が死体を見たということまで推認することはできない。しかし、前記認定のとおり、岩治は、事故現場に行こうとする智子に「見に行くなあ」等と言っていることに照らすと、岩治に事故現場を智子に見せたくないという配慮があったものと窺われ、岩治が事故現場の状況をかなり重大なものと感じていたことを否定することはできず、また、智子は事故現場を見て特にショックは受けなかったが、智子が血のついたシートカバーを見ているのであるから、岩治が事故現場を見に行ったときにもこれを目撃した可能性は十分考えられるし、岩治は、智子が戻り、バスが動き始めてから「人間の命というのははかないね」と言っている(証人長岡智子)ことに照らすと、岩治が右交通事故を人の死に関わるものと認識していた可能性も強いが、智子は、岩治が事故現場を目撃した前後で岩治の様子には特に外観上変わったところはなかった旨供述している(乙第二〇号証、証人長岡智子)ことに照らすと、岩治が血を見るのを嫌うこと(被控訴人本人)を考慮しても、岩治が本件交通事故を目撃したことにより精神的に大きなショックを受けたとは直ちにいえないというべきである。

三  バルサルバ洞動脈瘤破裂の機序等について

甲第五一号証の一、六二号証の二ないし四、乙第二七号証、第五八号証、原審における証人立木楷及び同菅原保の各証言によると、次の事実を認めることができる。

1  バルサルバ洞は、大動脈起始部で、三個の大動脈弁とそれに対する大動脈壁で囲まれたポケット状の空間である。一つの大動脈には三個のバルサルバ洞がある。バルサルバ洞は、心臓の収縮期に左心室から大動脈に流れ出た血液が逆戻りしないようにする機能を有している。身体のすみずみまで血液を行き渡らせるためには、収縮期だけでなく拡張期にも高い動脈圧を保つことが必要であり、バルサルバ洞は、大動脈圧が極端に下降することを防いでいる。

2  バルサルバ洞動脈瘤の成因の大部分は、先天性のものである。すなわちバルサルバ洞のある部分が生まれつき弱く(胎生期に心臓が発生するとき、左右の円錐部隆起が癒合して心室中隔からバルサルバ洞に至る部分が形成されるが、そのときの癒合が不完全であることが、バルサルバ洞を弱くする原因と考えられている。)、血圧により(正常の血圧であっても)自然に膨らんできて、バルサルバ洞動脈瘤を形成する。そして、岩治のバルサルバ洞動脈瘤は先天性のものと考えられる。

3  このようにして生じたバルサルバ洞動脈瘤は、出生後成長するにつれ心腔内(右心室ないし右心房)に突出するが、加齢とともに血管の脆弱化が進行し、血圧に耐えられなくなるとやがて破裂する。その期間は三〇ないし五〇年とされている。バルサルバ洞動脈瘤が存在しても、部位によっては圧迫症状(右室流出路狭窄や刺激伝導系圧迫による不整脈などときに冠動脈を圧迫することもある。)が生ずることがあるものの、その約七割には何らの症状がなく、破裂するまで前駆症状もないため、破裂を起こしていないバルサルバ洞動脈瘤の診断は極めて困難である。

4  このようにバルサルバ洞動脈瘤は、加齢とともに自然増悪し、限界に達した段階で破裂するものであり、破裂の契機を与える要因として血圧の上昇が考えられ、精神的緊張やこれによるストレスが血圧を上げることになるものの、血圧が高いほど破裂しやすいという医学的知見はない。バルサルバ洞動脈瘤の破裂の契機となる血圧上昇は、排便、性交、せき等の日常生活上の行為によっても生じるものであり、バルサルバ洞動脈瘤破裂は、労作時だけでなく、安静時でも起きるものである。

なお、血圧の変動に関しては、年齢、寒冷暴露、栄養摂取の不均衡などが血圧を上昇させる因子として挙げられているほか、精神的・肉体的ストレスが血圧の変動に強く関与することが明らかになっており、自動車運転については、道路の混雑、天候、乗客、運転時間や休憩時間などの運転に係わる要因が血圧変動に関与しているとされるが、バス運転中及び運転後の血圧の昇圧反応は、日常生活の排便時、食事中、入浴中の昇圧程度と大差はないとされている。

四  岩治の業務と本件疾病発症との因果関係

前記二及び三認定の事実に基づいて、本件疾病発症の業務起因性について検討する。

岩治の業務は、精神的緊張や長時間の拘束をともなうワンマンバスによる定期バスあるいは貸切バスの運行とそれに付随する作業であり、その勤務は、早朝出社し、夜遅く終業する場合があり、昭和五八年五月三一日から同年六月一〇日までの一一日間は連続して勤務し、また、同年五月三一日から同年七月二日までの拘束時間の平均は一〇時間三六分(同年六月二七日から同年七月二日までの拘束時間の平均は一〇時間二一分)、六月の一運転日当たりの平均走行距離は120.3キロメートル、同年四月及び五月の残業時間が59.5時間であり、そのほか、班長としての職務や健康寝具販売等にも従事していたものであり、このような勤務が岩治に肉体的疲労や精神的負担と睡眠不足をもたらしていたこと、また、本件発症当日運転した車両が、定期バスを代用したパワーステアリング機能のないバスであったこと、地理不案内への場所への長距離回送をともなう業務であったこと等の事情が、肉体的、精神的負担の一因となったことは首肯できないわけではない。

しかし、岩治は、昭和三六年入社から長期間にわたり、発症当日運転した車両と同様の性能のバスの運転を行っていた経験があり、また、当該車両は、前年(昭和五七年)まで貸切バスとして使用され、その後定期バスに転用されたものであり、法定の整備点検により、運行に支障がないように整備が行われ、バス自体の性能に問題があったとはいえないものであり、岩治はかつて山形市から仙台市間の路線バスを運転していた経験があり、行程の全部について全く土地勘がなかったわけではなく、当日の走行距離の点を考え合わせても、岩治にとって発症当日のバスの運転が通常の業務と基本的に異なるものであったとはいえないこと、発症当日の気温は、七月としては低温であったが、岩治は、半袖の夏服を着用し、走行中運転席脇の窓を開けており、寒さを感じていない様子であったことに照らすと、当日の気温が岩治に肉体的な負担となったとは認めがたいこと、途中交通事故のため、通行渋滞に遭遇し、岩治は交通事故現場を見ているが、事故による死者を目撃したとまではいえず、その後の岩治の様子に変化はなく、岩治が事故現場を見たことにより大きなショックを受けたとは認めがたいこと等を考慮すると、当日の岩治の運転業務が、バス運転業務に従事する運転者が運転業務遂行にともなって通常負担する肉体的精神的負担を超えるような強度の肉体的精神的な負担を余儀なくさせたものと認めることはできない。

また、本件発症の前日は、走行距離168.4キロメートル、乗務時間四時間三〇分の定期バスによる運転業務であり、一三時三〇分には終業していること、発症前日の前一週間については、六月二五日及び二六日を連続して休み、二七日は予備日として待機し、運転業務に従事しておらず、発症前一週間において、岩治がバス運転等業務に従事したのは、五日間のみであり、かつ、この間の労働時間は一日平均六時間五一分であって、その業務量は、それまでの日常業務と比較して格別過重なものではなかったこと、岩治の勤務状況が労働協約の範囲内にあり、岩治の六月中の勤務実態を経験年数・年齢がほぼ同じ同僚運転士の勤務実態と比較しても、格別の相違があるわけではなく(労働時間数においてやや少ない。)、六月の一運転日当たりの平均走行距離を比較すると、かなり少ないのであって、残業時間の点を考慮しても、発症前一か月間の岩治の業務が過重なものであったとは到底いえないこと、また、岩治の発症前一年間の労働時間についてみても、同僚運転士のそれと殆ど差異のないものであること、勤務時間外の健康寝具販売等については、岩治が健康寝具販売等を勤務時間外に行っており業務として大変であったという状況があったならば、遺族補償給付請求の手続きの当初の段階から言及されて然るべき事柄であるにもかかわらず、遺族補償給付請求の手続きにおいて被控訴人は健康寝具販売等について言及していないうえ、健康寝具販売等にかかる岩治の具体的活動内容や程度について具体的な裏付けを欠くものであり、班長の職務についても、手当てがつくものではなく、班長の職務が責任の重い管理職的業務とはいえないこと等に照らすと、これらの事情をもって、岩治の業務量を評価するにあたって重要視することができるとはいえないものであること等を総合考慮すると、岩治の本件発症の前日及びその前一週間ないし一年間の勤務状況をもって、身体的、精神的に過重な労働であったということもできないものというべきである。

しかも、岩治のバルサルバ洞動脈瘤はその成因が先天性のものと認められるところ、岩治は、昭和五五年五月から本態性高血圧等の診断で投薬治療を受け、昭和五八年六月末ころは、その血圧が正常値と高血圧の境界領域にあった(境界域高血圧)が、高血圧を増悪させる因子として、過度の精神的緊張、ストレスの持続が挙げられていることを考慮しても、岩治の業務の量や状況に照らして、その業務が過度の精神的緊張、ストレスをともなうような過重なものであったとはいえず、高血圧を増悪させる因子としてその他に年齢、寒冷暴露、栄養摂取の不均衡などが挙げられていることに照らすと、岩治の業務が同人の高血圧症を自然的経過を超えて増悪させたものとは認めがたい。そればかりでなく、バルサルバ洞動脈瘤が、加齢とともに自然増悪し、血管の脆弱化が進行し、その限界に達した段階で、最後の要因として血圧上昇が加わって破裂に至るものであって、バルサルバ洞動脈瘤の破裂の契機となる高血圧が、排便、性交、せき等の日常生活上の行為によっても生じ、バルサルバ洞動脈瘤が労作時だけでなく安静時でも破裂するものであり、バス運転中の昇圧反応が、日常生活の排便時、食事中、入浴中の昇圧程度と大差はないとされていることに照らすと、岩治のバルサルバ洞動脈瘤の破裂が、バス運転業務に限らず、日常生活上のあらゆる機会に発生してもおかしくない状況にあったことは、これを否定することはできない。

以上要するに、岩治のバルサルバ洞動脈瘤の破裂は、バルサルバ洞動脈瘤が加齢とともに自然的経過のもとに徐々に増悪した結果である可能性が大きいというべきであって、その破壊について、業務に内在する危険が現実化し、その自然的経過を超えて著しく増悪させた結果であると認めることはできず、業務との間に相当因果関係があるとすることはできないというべきである。

被控訴人は、岩治のバルサルバ洞動脈瘤破裂が業務上の過重負担によって増悪した高血圧によってひき起こされたものである旨主張し、甲第五一号証の一、第六一号証、原審及び当審における証人菅原保の各証言には、右主張にそう部分が存在するが、右は、岩治の業務が強度の肉体的精神的な負担を余儀なくさせる業務であるとの評価のうえに立つものであり、その前提が採用することができないものであることは前記説示のとおりであるから、右証拠は採用することができない。

五  したがって、本件疾病は労働基準法施行規則三五条所定の別表第一の二第九号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に当たるとは認めることができないから、これと同旨の理由に基づいてされた本件不支給決定(本件処分)に違法はなく、その取消しを求める被控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却すべきである。

第六  結論

以上のとおり、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当でないから、原判決を取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとする。

よって、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官原健三郎 裁判官伊藤紘基 裁判官杉山正己)

別紙〈省略〉

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